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旅と写真と星の動き

春のしらべ

ムーミン谷の仲間たち』を、ようやく読み始めた。

(画像をクリックするとamazonのサイトに飛びます)

 

ムーミン谷の仲間たち (新装版) (講談社青い鳥文庫)

 

 木之下晃氏、石井ゆかり氏と

トーベ・ヤンソンにまつわる出会いが続いたので、

「読んでおいたほうがいいのかな」くらいの気持ちで買っていたのだけど、

しばらくの間、枕元ですやすや眠っていた。

昨日、ようやく起こしてみたのだった。

 

9つの短編が収録されている。

新書サイズで、1本20ページほど。

 

一番最初に載っている、「春のしらべ」を寝る前に読んだ。

はっと息がとまった。

「だれにもかわいがられたことのない人間のそれのような目つきでした。」

はい虫が登場した瞬間、「昔のわたしだ」と思った。

 

     ***   ***

 

スナフキンは、雪どけの中を、山を目指して北へ歩いていた。

とてもすばらしい、春のしらべが降りてきそうなところへ、

一匹の臆病な“はい虫(むし)”が川の向こうから話しかけてきたので、

スナフキンが書きとめたかった曲は、どこかへ逃げてしまった。

 

スナフキンは気分がわるくなり、はい虫を邪険に追い払うのだけど、

スナフキンにずっと憧れていたはい虫は、

凍るほど冷たい川に飛び込み、スナフキンのもとへ泳いでいく。

そして、「ぼくに名前をつけてほしい」とお願いする。

根負けしたのか、別れ際にスナフキン

「ティーティ・ウー」という名前をつけてあげた。

そして。

 

  「あれは新月だぞ。 ぼく、願をかけよう」

  …ところが、そのとき急に思いなおして、彼は声高く叫びました。

  「どうか、ティーティ・ウーが見つかりますように。」

 

  …「ティーティ・ウー! ぼく、おしゃべりをしたくてもどってきたよ」

  …「ヘロー、そりゃうれしいな。

  だって、ぼく、あんたに見せたいものがあるんだもの。

  ごらんよ! 名ふだですよ、ぼくの名前が書いてあるんです。…

  ぼく、かあさんの家を出て、あたらしい家をつくりにかかったんです。

  なんてすばらしいんだろ!

  ね、わかるでしょ、ぼくはこれまで、

  そこらを飛びまわるときによばれる名前を持っていただけなんです。

  そりゃ、あれやこれやのことを感じたけれど、

  すべては、ぼくのまわりでただ起こっているだけで、

  そんなものは、みんなくだらないことだったんです――。

  そりゃたのしいことも、そうじゃないこともあったけどさ、

  それがね、あなた……。」

 

   スナフキンは口をはさみかけましたが、

  はい虫はそれにかまわず、なおもつづけました。

 

   「ところがいまは、ぼく、一個の人格なんです。

  だから、できごとはすべて、なにかの意味を持つんです。

  だって、それはただ起こるんじゃなくて、

  ぼく、ティーティ・ウーに起こるんですからね。

  そして、ティーティ・ウーであるぼくが、

  それについてあれこれと考えるわけですからね。

  ――ぼくのいうことが、わかりますか。」

  「わかるよ、わかるよ。よかったねえ。」

  と、スナフキンはいいました。

     トーベ・ヤンソン著 山室静訳  『ムーミン谷の仲間たち 新装版』 

      「春のしらべ」 P25-27   (講談社青い鳥文庫・2013

  

 

存在を認められ、肯定されることで、

はい虫は、まわりに頼るだけの生きかたから

一歩、踏み出すことができた。

その力をくれたのは、

「ずっとずっと、憧れていたひとが認めてくれた」という事実。

そして、与えてくれた「名前」だった。

 

あのはい虫でもなく、そのはい虫でもなく、スナフキン

ほかならぬ「ティーティ・ウー」に、

自分の意思で会いにもどってきた。

だけどティーティ・ウーは、とってもいそがしいと言って

あっという間にスナフキンの前からいなくなってしまった。

 

  彼のぼうしの下のどこかで、あのしらべが動きはじめました。

  ――第一部はあこがれ、第二部と第三部は春のかなしみ、

  それから、そうです、たったひとりでいることの、

  大きな大きなよろこびでした。

     同上 P28-29

 

 

たったひとりでいることの、大きな大きなよろこび。

この言葉を思い出した。

 

  人の心のさびしさとは、
  愛情が座るための椅子のようなものなのではないか、
  と思えます。

   石井ゆかり愛する力。』 p123
   「さびしがりや。」より