i think

旅と写真と星の動き

ずっと一緒

主治医先生の診察机の上には、いつものコーヒーとかばんのかわりに

腕時計が置かれていた。

最近特に外来が混んでいるから、よく時計を見るのかな、と思った。

 

「今日は処方箋を手で書きますから…」

診察券をください、と先生が言う。

券を受け取ると、先生は背中を向けて

小さな複写機にかがみこんだ。

 

「今日は何日ですか……」

背中を向けたまま、先生がたずねる。

「28日」

「何日ですか…」

「1月、28日」

間違えないように、私は、カレンダーを何度も確かめる。

 

 

くるりと先生がこちらへ向き直った。

 

「えっと、28日」

先生は自分の腕時計の文字盤を確かめて、複写機をセットした。

 

 

処方箋を書き終えた先生が笑う。

「この時計は実は、90年代から使っているんですよ。安物ですけど」

自分の持ち物について話すとき、先生は、いつも「安物ですが」と言い添える。

そのときの先生はどこか、少し恥ずかしそうに見える。

 

 

いつか聞いたことがある。

持ち物をボロボロになるまで使い込んでつれそうひとは、

好きなひとともずっとつれそうのだ、と。

 

 

私の母のTシャツはぼろぼろで、襟や肩は穴だらけだ。

何度か父に裏切られたけれど、今も父と一緒に暮らしている。

母はシャツを畳みながら、「着心地がいいから捨てられない」と言う。

 

夫の手提げ、Tシャツ、車。

どれも傷だらけの10年選手。

最近ようやく、小学生時代から愛用してきたという

マジックテープ式の財布を買い換えた。

現代なら100均で簡単に買えるような、

とりたててなんということのない財布だった。

 

 

その物と同じくらい、あるいはそれ以上に

物と過ごした時間を大切にしているのかもしれない。

そう思うと、まだ使えるのに捨ててしまう自分が

むしろ恥ずかしくなった。

 

 

 

90年代から、ということは

先生が医師として積み重ねてきた時間の大半を

その時計はともに過ごしてきたのだと思う。

 

「すてきな時計ですね」

今度また、時計が置かれていたら言えるといいな。